2026年の手帳をどうしようかと考えたことが、今回のきっかけです。
2026年の手帳には、仕事のこと、その日の予定、生活時間、体調のこと、気分のこと、ちょっとしたメモ。
私の日常がいろいろと記録されています。
あとから見返せば、「この日はこんなことをしていたんだな」と分かる程度のものです。
でも、ふと思いました。
これって、残しておく必要があるんだろうか。
絶対に残さなければいけない記録ではありません。
なくなったところで、生活に困るわけでもない。
他人が見ても「へえ、そうなんだ」で終わるでしょうし、私自身も全部を見返すとは限りません。
それなのに、毎日せっせと手帳に書いています。
新しい手帳を買ったばかりなのに、そんな疑問を持ってしまいました。
だったら、そもそも記録する意味って何なんだろう。
手帳に限らず、記録そのものについて考えてみることにしました。
自他ともに役立つ記録
まず思いつくのは、他人の役にも立つ記録です。
旅行記なら、どの電車で行ったか、どのくらい時間がかかったか、どの店が良かったか。
引っ越しなら、どんな手順で進めたか。
勉強なら、どのくらいの時間をかけ、どんな方法を試したか。
「こうしたらうまくいった」「この方法だと楽だった」。
こういう記録には、ある程度の再現性があります。
まったく同じ結果になるとは限りませんが、「私はこうだった」という材料があるだけで参考になります。
そしてこれは、自分にとっても役に立ちます。
次に同じことをするときに、「前はこうしたらうまくいったな」と思い出せるからです。
他人にも自分にも役に立つ。
これは、とても分かりやすい「意味のある記録」だと思います。
自分のための記録
でも、世の中の記録が全部そんなに役立つものだったら、ちょっとつまらない気もします。
旅行中に疲れてうっかり寝てしまった。
食べ物をこぼして、みんなで大爆笑した。
予定していた場所に行けなかった。
こういうことは、他人が同じ旅行をするときには、ほとんど役に立たないでしょう。 でも、自分たちにとっては大切な思い出です。
何年か後にその記録を見たら、「ああ、このとき寝ちゃったんだ」と、その場面が一気に思い出されるかもしれません。
写真だけでは思い出せないことも、言葉がひとつ残っているだけで記憶が戻ってくることがあります。
ネットで検索しても出てこない、本にも載っていない、自分たちしか知らない記録です。
他人に役立たないからといって、意味がないわけではなさそうです。
体調や気分の記録もそうです。
しばらく続けていると、「この時期は調子を崩しやすい」といった、自分なりのパターンが見えてくることがあります。
パターンが分かれば対策を考えられますし、病院に行ったときも「いつから、どんな状態だったのか」を確認できるかもしれません。
これは誰かに見せるための記録ではなく、自分を知るための記録です。
家計簿も、私はこれに近いと思っています。
「自分は何にお金を使っているのか」を知ることは、ある意味、自分を守るための記録でもあります。
とりあえずの記録
そして、もうひとつあります。
私はこれを「とりあえずの記録」と呼ぶことにしました。
映画を観た、本を読んだ、ドラマを観た、漫画を読んだ、カフェでこの飲み物を飲んだ。
誰かの役に立つとは限らないし、生活を改善するために必要とも限りません。
でも、記録しておくとちょっと楽しいんです。
「今年こんな映画を観たんだ」と振り返るだけでも、それなりに満足感があります。 スタンプラリーみたいなものなのかもしれません。
全部の記録に、立派な目的がなくてもいい。
「とりあえず残しておこう」くらいでもいいのではないかと思います。
それに、今は意味が分からない記録が、あとから役に立つこともあります
一見関係のない記録と記録を見比べることで、「あれ?」と気づくこともある。
歴史を振り返っても、当時は誰かの日常だった記録が、後になって貴重な資料になることがあります。
ひとつひとつは、ただの個人の記録だったのかもしれません。
それが後からつながることで、何かが見えてくる。
そう考えると、「これは何の役に立つんだろう」と思う記録も、完全に無意味とは言い切れない気がします。
記録の価値は人それぞれ
記録を続けていると、「これ、何の意味があって記録しているんだ?」と思うことがあります。
逆に、「あの人は、なんでこんなものを記録しているんだろう?」と思うこともあります。
でも、その記録の意味は、その人にしか分からないのかもしれません。
私には必要のない記録でも、その人にとっては大切かもしれない。
だから、日常の記録は、それくらい自由でいいのではないかと思っています。
そして面白いのは、記録しているからこそ、あとから面白いことを発見できることがある、ということです。
記録する前から、「このデータを集めたら、こんなことが分かるはず」と思っているとは限りません。
ただ書いていた、ただ残していた。
それを後から見たら、何かに気づいた。
記録には、そんな偶然もある気がします。
記録はAIにも使える
そして最近は、記録の使い道がもうひとつ増えました。AIです。
AIは、渡したデータを整理したり、分析したり、表にしたりできます。
でも、AIに聞けば何でもわかるわけではありません。
「最近、急に太ってきたのはなぜ?」と聞いても、体重や食事、生活時間を記録していなければ、AIは一般的な話しかできません。
数字がなければ、体重の推移を表にすることもできません。
つまり、AIに分析してもらいたいと思っても、そもそも自分が記録していなければ、分析する材料がないのです。
これは、これからの時代の記録の意味のひとつになるのかもしれません。
自分のために残していた記録を、後からAIに整理してもらう。
「私にはどんな傾向がありますか?」 そんなことも、記録があれば一緒に考えられます。
2026年の手帳をどうするか
そんなことを考えた結果、2026年の手帳は、とりあえず1年間保管しておくことにしました。
来年になって、「去年はどうだったかな」と思って見返すかもしれません。
でも、ずっと保管しておくつもりもなく、今のところ2028年には処分する予定です。 何でもかんでも溜めておけばいいとも思わないからです。
ただ、体調など、後から見返したほうがよさそうなものについては、別にデータとして残していこうと思います。
今回、2026年の手帳について考えたことで、私の中では少し答えが変わりました。
意味のある記録を、全部残そうとしなくてもいい。
「これは絶対に役に立つ」と分かっているものだけを残す必要もない。
今は意味が分からなくても、自分にとって何か意味があるかもしれない。
そんなものを、とりあえず記録しておく。そして、必要なくなったら手放す。
記録って、それくらいでもいいのかもしれません。
2026年の私の日常が詰まった手帳も、今の私にとってはそんな記録です。
いつか見返して、「こんなこと書いてたんだ」と笑うかもしれないし、何かに気づくかもしれません。 何も思わないかもしれません。
それでも、とりあえず1年分、残してみようと思います。
これもこんなことを思考したのだという記録になりそうです。という、
本日の記録でした。
