無駄に見える時間も、後から意味になる
「これ、無駄だったな」
ふと過去を振り返ったとき、そう思ってしまう時間ってありませんか。
何も残らなかった日々。
頑張ったのに報われなかったこと。
ただ疲れて終わっただけの時間。
特に20代を思い返して、「もっとちゃんとやっておけばよかった」と感じている人は少なくないと思います。
私もその一人です。
無駄な時間を減らしたくて、趣味や娯楽を削ったことがありました。
ドラマを見る時間も、なんとなく過ごす時間も、「意味がない」と思って手放していきました。
でも、気づいたことがあります。
気づけば、誰かと雑談するのが難しくなっていました。
何を話していいのかわからない。
何を面白いと感じるのかも、少しわからなくなっていました。
無駄だと思って削ったものの中に、実は自分をつくっていたものがあったのかもしれません。
そんなとき、あるドラマの中でこんな言葉に出会いました。
「無駄を楽しむ時間は無駄な時間ではない」
そのときは、正直よくわかりませんでした。
無駄は無駄じゃないの?と、少しだけ引っかかるくらいで。
でも、あとからじわじわと効いてきました。
この言葉は、ジョン・レノンの言葉としても知られています。
“Time you enjoy wasting was not wasted.”
(楽しんで無駄にした時間は、無駄じゃない)
あのとき観たドラマも、きっと「無駄な時間」だったはずです。
でも、その時間があったから、この言葉に出会えた。
そして今、こうして考えている。
そう思ったとき、ひとつ気づいたんです。
無駄かどうかは、その時間そのものじゃなくて、
その時間をどう過ごしたかで変わるのかもしれない。
同じ時間でも、ただ流れていく時間と、
少しでも心が動いた時間では、きっと意味が違う。
楽しもうとした時間。
何かを感じようとした時間。
ちゃんと向き合った時間。
そういう時間は、たとえ何も残っていないように見えても、
あとからふと、自分の中に残っていることがある。
例えば、仕事の中にも「無駄だな」と感じる時間はあります。
単純な作業や、やらなくてもいいんじゃないかと思うような時間。
でも、その時間の中で、小さな工夫をしてみたり、何か一つでも発見を見つけてみる。
少しだけやり方を変えてみる。
少しだけ楽しめるポイントを探してみる。
それだけで、その時間の意味は少し変わるのかもしれません。
ただ、「無駄を楽しむ時間」というのは、
何かを得なければいけない時間という意味ではないと思います。
学びがなくてもいいし、成果がなくてもいい。
ただぼんやり過ごす時間や、意味のないことに時間を使うこと自体を、楽しんでいい。
例えば、おふとんの中で感じるあの暖かさを、ただ気持ちいいなと思う時間。
何かの役に立つわけでも、誰かに評価されるわけでもないけれど、
その瞬間、ちゃんと自分は満たされている。
ジョン・レノンの言葉は、きっとそういう時間のことを指しているのだと思います。
だから、あのときの自分の時間も、まだ「無駄だった」と決めるには早いのかもしれません。
楽しかった時間だけじゃなくて、苦しかった時間も。
何もできなかった時間も。
遠回りしたように見える時間も。
それらは全部、まだ途中なのかもしれない。
意味がなかったんじゃなくて、
まだ意味になっていないだけ。
そう考えると、少しだけ過去の見え方が変わります。
「あれは無駄だった」と切り捨てていた時間に、
ほんの少し余白が生まれる。
そしてその余白は、これからの自分で変えていけるのかもしれません。
だから今、もし「この時間、無駄かも」と思ってしまう瞬間があっても。
無理に意味を見つけようとしなくていいし、
正解にしようとしなくてもいい。
ただ、その時間をどう過ごすかだけ、少しだけ意識してみる。
楽しめるところがあるなら、少しだけ拾ってみる。
何も見つからない日があっても、それでもいい。
あの時間が無駄だったかどうかは、
これからの自分で、変えていけるのかもしれません。